「困難にある人を見たら
見過ごさず助ける」
「困難にある人を見たら見過ごさず助ける」、そんな福祉の心を原点に活動する若竹大寿会は、東日本大震災、熊本地震に県内最大の支援者を出してきましたが、今回の能登地震でもこれまでと同様に最も多くのスタッフが現地に入り支援活動を行いました。
能登地震では、延べ15名の職員が福祉避難所と施設に出向きましたが、その派遣職員より被災地支援の感想をいただきましたので紹介します。
法人として、これらの職員に感謝するとともに、その不在を支え現場を守ってくれたスタッフの皆さんに深く感謝します。
現地に行った職員は、被災地でしか学べない財産を持ち帰ったと思います。今後の活動で、さまざまな気付きや経験を災害対策に活かし、リーダー的な立場で活躍することを期待します。
理事長 竹田 一雄
応援派遣スタッフ レポート
1.若竹苑 Hさん 派遣先:いしかわ総合スポーツセンター
派遣期間:5月31日~6月5日
5月31日から6月5日まで能登半島の災害派遣に行かせて頂きました。現地での活動は、6月1日から6月4日の4日間でした。 出発の前日に県社協より現地での統括主任に選任され不安で眠れませんでした。普段一般職員として業務にあたっているという事もあり初めてのことばかりで緊張や不安で、私に出来るのだろうかとネガティブなことばかり考えていました。 私の現地での業務としては、ケアスタッフのシフト管理・他専門職との連絡調整・入居者様の所在や服薬などの全体の把握などで基本はパソコンと向き合うことが多かった印象です。しかし、開いている時間などを使って入居者様とお話したりいっしょにレクリエーションに参加したりと4日間しかない中で積極的にコミュニケーションを取るようにしました。 避難所では、ナースコールや眠りスキャンなどのセンサーがありません。そのため、定時での所在確認や声掛け、スタッフ間での声掛けや連携が必須になります。統括としての指示や現状の把握等、普段とは違うところに気を使うことが必要で大変でした。 また、避難所はあくまで仮の住まいでありいつかは出なければならない。そのため自立に向けた支援が重要になると感じました。しかし、避難所では食事も無料で出て来るし、簡易ベッドではあるもののそれも慣れてしまえば寝心地は悪くない。という様にある程度の衣食住が整ってしまっているため避難所から出ていきたくないという方もいらっしゃいました。さらに、周りにいる人は被災という同じ境遇を経験した人たちで仲間意識も芽生え名残惜しかったり避難所外での生活よりむしろ楽しかったりと中々難しい部分があったように感じます。入居者様たちも避難所を出なければいけないと分かってはいるのだけどねーと話されていました。そういった普段とは違ったことばかりでとても勉強になりました。とても貴重な経験となり、これからの業務に生かしていきたいと感じました。
2.わかたけ南 Mさん 派遣先:いしかわ総合スポーツセンター
派遣期間:6月4日~6月9日
大きな被害のあった能登半島と違い、金沢駅周辺や観光地では外国人や他県からの旅行客も多く賑わっていました。何名か地元の方とお話をしましたが、「被災時は怖かったけど、大変な今だからこそ(金沢を)盛り上げていかなきゃ」「親戚が能登に住んでいて、こっちに避難してきている。自分も何か手伝いがしたいと思ってボランティアに参加している」など何かできる事をしたい。という地元を愛しているからこその気持ちが見えました。
3.わかたけ富岡 Kさん 派遣先:いしかわ総合スポーツセンター
派遣期間:6月12日~6月17日
第1に様々な団体、職種が支援にあたっている為、各団体と多職種連携、情報の共有が重要であると感じました。第2に支援者が代わっても同様の支援が行えるよう体制を整えておく事、引継ぎの必要性があると感じました。第3に短期間の派遣のため、避難所の方々と早期のラポール形成が必要と感じました。最後に、避難所は一時的な住まいの為、避難所生活に依存しないよう、なるべく自立した生活が送れるよう必要最低限の支援を行うことの重要性を感じました。以上の事を今回の避難所派遣で感じるとともに、意識して支援にあたりました。避難所支援を経験し、自身の見解も深めることができました。支援に派遣してくださりありがとうございました。
4.若竹苑 Nさん 派遣先:いしかわ総合スポーツセンター
派遣期間:6月16日~6月21日
普段経験出来ない多くの学びがありました。 あくまで退所できるまでの避難所(つなぎの場所)であり自立支援、必要以上の介入や過干渉にならないことが重要で避難所の方のトラブル回避の為プライベートや個人情報にも十分に注意しなければならずその中でのコミュニケーションの取り方の難しさを感じました。 今回災害派遣を活動させて頂きましたが活動までは自分の中で少し他人事な気持ちもあったと思いますが他人事ではなく今後も被災時の自分にできる支援の方法を学び考えていきたいと思いました。
5.わかたけ鶴見 Iさん 派遣先:いしかわ総合スポーツセンター
派遣期間:6月16日~6月21日
今回、4日間被災地へ入り避難者の方々の支援に入りました。 TVの報道で見ていた映像よりも直接見た印象だと派遣された先が金沢で能登よりは被害が少ない印象でした。街中も綺麗で不便を感じる印象は少なかったです。 1.5避難所は40名程の自立度が高いご入居者様が生活されており自由に外出や外泊ができる状態でした。支援内容としては入浴介助や一部トイレ介助が主でした。 毎日レクレーションを行うことで、廃用症候群を予防しており避難者の方々の状態が悪化しないように工夫している状況が見られまし。震災当初は200名ほどの方々が生活されていたようですが施設への入所が決まったり、自宅に戻る事が出来た方もいらっしゃるようで避難所自体での生活は伸び伸びと生活をされていた印象です。それでも様々なストレスを抱えていたと思いますが表面上には見えない部分がありました。今回、貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。今後の業務の参考にするとともに有事の際には少しでも力になれる様にしていきたいと感じました。
6.リハリゾート青葉 Bさん 派遣先:いしかわ総合スポーツセンター
派遣期間:6月20日~6月25日
派遣初日は被災された方の状況が分からず、接し方に不安を持っていました。二日目には慣れてきて落ち着いて対応することができたと感じましたが、震災から半年を経た三日目の7/1に家屋の倒壊や津波の映像が繰り返し放送されたためか小さな悲鳴が聞こえていました。 穏やかに過ごされているように見えても心の傷はまだ癒されていないことがわかり、心に寄り添っていくことが最も大切なことだと思い、改めて気を引き締めた瞬間でした。今回、1.5次避難所(いしかわ総合スポーツセンター)への災害派遣を通じて、地域の方々と直接関わる時間はそこまで多くありませんでしたが、様々な関係機関が協力して避難所を運営する姿を目の当たりにし、とても貴重な経験を積むことができました。災害派遣ですので「楽しかった」という表現は適切ではないかもしれませんが、法人のサポートもあり、チームを組んだ他法人からの介護スタッフにも恵まれ、とても楽しく充実したものとなりました。ありがとうございました。
7.わかたけ南 Iさん 派遣先:第二金沢朱鷺の苑
派遣期間:6月20日~6月25日
最終日の終了後、被災者の方々と会話をしましたが、いつまでこちらで生活するのか、次は何処に行くのかと不安で、早く能登や珠洲市に帰りたいと仰ってました。 短い期間でしたが、「世話になったね、助かったよ、ありがとうね」と労いのお言葉も頂きました。 まだまだ復旧の目処が立っていない状況の中、1日でも早く復旧し皆様が無事に帰宅出来る事を願うばかりです。 今回能登半島災害派遣に参加出来た事は良い経験となり勉強になりました。 今後の仕事して行く上で役に立てる事があると思います。 また、機会があれば参加したいです。
8.わかたけ富岡 Oさん 派遣先:いしかわ総合スポーツセンター
派遣期間:6月24日~6月29日
初めての災害派遣に行かせて頂き被災地の方が心配と共に自分で上手く務まるか不安でした。ですが、行ってみてむしろ元気を頂きました。こんな大変な中自分たちに激励して下さりありがたい限りでした。自分が派遣に行った時は50人ほど次の施設、仮設住宅等が決まっていなく過ごされていました。派遣の動き方がほぼ決まっていたので時間に余裕がある日が多く、また実働4日間しかないので何かできるか、考えた結果丁度七夕が近かったこともあり職員、ご入居者様と一緒に短冊にお願いごとを書きました。全員とは行きませんでしたが皆様が「皆が健康でありますように」、「早く帰りたい」、「逢えば別れがつらいけどこれからも明るく元気で過ごせるように」等の思い思いの願い事を書いて下さりました。災害派遣のため来て力になるため参加したのに逆に力を頂きました。4日間と短い間でしたがとても貴重な経験と力をもらいました。選んでくれた介護長に感謝です。ありがとうございます。
9.わかたけ鶴見 Mさん 派遣先:いしかわ総合スポーツセンター
派遣期間:6月28日~7月3日
派遣初日は被災された方の状況が分からず、接し方に不安を持っていました。二日目には慣れてきて落ち着いて対応することができたと感じましたが、震災から半年を経た三日目の7/1に家屋の倒壊や津波の映像が繰り返し放送されたためか小さな悲鳴が聞こえていました。 穏やかに過ごされているように見えても心の傷はまだ癒されていないことがわかり、心に寄り添っていくことが最も大切なことだと思い、改めて気を引き締めた瞬間でした。
10.中川ケアプラザ Sさん 派遣先:特別養護老人ホーム長寿園
派遣期間:7月1日~7月5日
自然災害はいつ襲ってくるかわかりません。地震で多くの方がイメージするのは2011年の『東日本大震災』ではないでしょうか。 しかし、私が地震と言われて一番に浮かぶのが1983年の『日本海中部地震』です。私が3歳の時でしたので記憶が曖昧なのですが、お昼時に突然、大きな揺れと母の発狂したような声が強烈な印象として残っています。近所の公園まで避難して、自宅へ戻ると窓が割れて棚という棚が倒れて中身が床へ散らかった状態でした。地震の恐怖とこの先をどうやって生活していくのかという不安でいっぱいだった記憶があります。 大きな災害が起こると、毎回ボランティア募集を耳にします。気にはなっていましたが『私が行って何ができるのか』『ご迷惑をかけてしまうのでは』等を考えてしまい、なかなか一歩を踏み出せず自己嫌悪をすることが続いていました。今回、ボランティアに参加させていただいて余計な危惧であったことがわかりました。被災された方々は私が幼少に感じた様な恐怖や不安を抱えたまま前を向いて生活されていましたが、恐らくはそれを継続しないと倒れてしまうような極限の状態だったのではではないかと思います。被災された方々は立派な技術や知識は求めておらず、誰でもいいから手を差し伸べて欲しいのだということがわかりました。微力ではありますが、お手伝いができたことは本当に良かったと思います。 今後は見てきたこと、聞いたこと、感じたことを伝えること、そして風化させないことが、かかわらせていただいた者の務めなのではないかと考えます。望むべきことではないですが、機会がありましたら参加したいと思います。また、もっと多くの方が参加するべきであると私は考えます。自然災害はいつ襲ってくるかわかりません。いつ支援を求める立場になるかわからないのだから… 最後になりますが、受け入れてくれた社会福祉法人長寿会さん、機会を与えてくれた法人と中川の皆地域ケアプラザの皆さまに感謝いたします。
11.中川ケアプラザ Uさん 派遣先:錦城学園
派遣期間:7月1日~7月6日
能登半島の自治体の多くが過疎地域のため、復興施策の多くは高齢者が中心とのことで、障がい福祉や子育て支援はあまり整ってなく、小学校の校庭が福祉避難所として開設されると、子どもの居場所が失われてしまっているとのことでした。 派遣施設でも、3月の避難完了以降は、職員派遣の必要性を問われているとのこと(知的障害者連絡会による派遣は6月で終了) 一次避難での支援(物理的マンパワー)とともに、二次避難(必要に応じたマンパワー・専門性)が、見落とされがちですが重要だと感じました。
12.すすき野ケアプラザ Iさん 派遣先:特別養護老人ホーム長寿園
派遣期間:7月10日~7月15日
能登半島 珠洲市「長寿園」での災害支援活動に参加して 私は、令和6年7月10日から7月15日まで6日間、今回の能登半島地震で甚大な被害が発生した、石川県珠洲市にある特別養護老人ホーム「長寿園」にて活動をしました。 施設内で運営している「珠洲市地域包括支援センター長寿園」の保健師さんから、初日に貴重なお話を伺う機会を頂きました。 発災時、自分のエリアにおいて、地域包括支援センターの職員として何ができるだろうか、何を優先して取り組むべきなのか。同じ立場である地域包括支援センターの職員さんから話を伺う時間は、短い時間ではありましたが、非常に多くの学びを頂いた貴重な機会となりました。
13.夢タウンわかたけ Hさん 派遣先:特別養護老人ホーム長寿園
派遣期間:7月14日~7月19日
石川県珠洲市は、海と山が美しい、自然に溢れた町でした。しかし、津波の被害を受けた古き良き家屋は倒壊、電柱や標識は傾いており、カメラを向けることが憚られるような状態でした。応援施設では、自身の生活もままならぬ中、ご利用者を守るために奮闘する職員の方々と出会いました。心穏やかに働けることがどんなに幸せなことか、強く認識させられた4日間でした。1日でも早く復興し、穏やかな日々が戻ることを願います。
14.東寺尾ケアプラザ Tさん 派遣先:特別養護老人ホーム長寿園
派遣期間:7月18日~7月23日
今回の派遣で感じた事は「震災の恐ろしさ」です。私達が当たり前と感じている日常や生活が、わずかな時間で非日常的な姿へと変り果て、多くの人に命の危機感を突き付け、恐怖・悲しみ・不安・喪失などの感情も整理出来ない内に「混乱」と向き合わなければならない事実はとても耐えがたいものだと思いました。地震、津波による現地の被害は、テレビを通してと直に見るとでは全く現実感が異なり、自身が目の当りにし初めてその甚大な被害と合わせ怖さが肌で実感させられました。同様の震災がもし首都圏で起きたらと考えたら思考が止まり唾をのみ込んだのを覚えています。 派遣先である長寿園は、津波時第一避難所に位置付けられ災発時には98名の入所者以外に一般の避難者250名の受け入れもあり施設内いたる所が人で埋め尽くされ、食べ物も限りがあり入所者の食事を調整しながら避難者へ1日1個のおにぎりのみ配られる厳しい状況が1週間程続いた中でも、役所からの要請で一般の避難所では困難な方の受け入れにも対応されていたそうです。 半年経った今でも水の出ない洗面所や館内の段差、物資、食品関係などの問題が残っている中、一番の切実な問題としては200名程いた職員が震災後この半年で60名以上が様々な事情のもと辞められ誰も責められません。残った職員の仕事量に伴う疲弊が大きくなってきており、一人ひとりの職員の頑張りだけが入居者の生活維持に直結している現状でした。 職員の中には自宅が倒壊し仮設住宅で生活されている方や、派遣の宿泊先第三長寿園で家族と生活されている方がいらっしゃり本当の意味で気の休まる場所がないという方は少なくないと思います。 派遣中も職員の疲弊度は所々で見受けられるも、自らの役割を全うされ入居者に対し、派遣の私達に対しても明るく接して下さいました。自身の業務を通し仕事を教えることは多少なりに負担が生じるところでも丁寧に教えて下さり私自身スムーズに業務に携わる事が出来ました。実際、職員数に応じた業務の遂行の為、時間通りに進め、終える事は難しく時間がおすことは当然見られ、入所者にも若干影響が見られる様子も伺えました。 入居者はお風呂の時間、食事の時間までは自室で臥床されている方、メインフロアーでテレビをご覧になられている方やソファーで傾眠されている方が多く見られ、自主的に何かに(折り紙など)取り組まれている方の姿はごく少数。今回の派遣に向け自作の脳トレ遊具数種を持参したところ、何人もの入居者が興味を示され取り組んで下さいました。有難いことに「面白い」「勉強になる」「楽しい」の喜ばれる声も聞かれ、職員の方からも以前は遊具などもあったが震災後ゴチャゴチャになり興味を示す方も減り提供出来ていない状況と話され、役に立てて良かったです。 今回派遣者として、少しでも現場の職員の負担軽減を図り気持ちの余裕を持ってもらえるよう自身に何が出来るかが課題でした。その答えが出ないままの現地入りでしたが、自身と同じように派遣で来られた方達と協力しながら職員の分まで「とにかく動く」を行動指針とし、解らない事は支持を仰ぎ自ら動く、状況を見て進んで介入する、落ち着いた時間には入居者との交流を図る、を目標とし取り組みました。 最後に、今回の被災地派遣わずか4日間でいったいどの程度の支援が出来たのだろうか?役に立つ事が出来たのだろうか?と当たり前のように自問自答にかられました。派遣は期間を終えれば自らの生活に戻る事が出来るが、現地の方々はこの先も現実と共に『今』を受け入れ続け頑張って行くしか手立てはないと思うと言葉を失失います。 特に自身が行った珠洲市の状況は震災から半年経っても爪痕は生々しく残り、目を疑う程の家の崩壊跡、瓦礫の山、傾いた電柱、道路の陥没など復旧にはまだほど遠い状況が残っています。仮設住宅もまだ足りておらず主要道路も復旧ではなく応急程度、皆が安心して暮らせる元の珠洲市に戻るのには長い年月が掛かると予測されます。この度の経験は思い出にはせず、多大な被害を受けそれでも今を頑張る人達の姿に向けた想いが深まったと同時に、今回のような全国各地からの『福祉人』支援派遣は重要な役割を担っていると実感しました。